躾という隠れ蓑

体罰
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法務通信―新時代― Vol.9

なんと2か月近くも暑い日が続いています。暑中お見舞い申し上げます。こうも暑いと、イライラしたり、思考力や判断力も落ちますね。今回は、そうした状態では、無意識に当たり前だと思っていたことが、法律上の加害者になったり、思わぬ失敗を招いたりする、ついやってしまいがちな法律違反を考えてみましょう。

躾という隠れ蓑

 近年体罰や虐待を「しつけ」だと言い逃れる親が増えてきました。子どもへの体罰が躾に当たるかどうかは、時代や親の性格、養育環境などによってさまざまに解釈されますが、法律では、「親権者は、子の利益のために行う監護や教育の範囲を超えて児童を懲戒してはならない」とありました。

 じゃあ、範囲を越えなければ体罰を加えてもいいのかとも解釈されます。近年改正された児童虐待防止法では、たとえ、躾のためだといっても、身体に何らかの苦痛を与え、不快感をもたらす親の言動はどんなに軽いもであっても、体罰に該当すると明記し禁止されました。

 これらを受けて民法822条の「懲戒権」が削除されました。すなわち、子どもを良くしたいと思い、無意識にしつけてきたこと、たとえば、注意してもいうことを聞かないから頭を叩いた、いたずらしたから正座させたなど、子どもに身体的、精神的苦痛を与えれば体罰として罪になるわけです。子どもは親の所有物でもストレスの発散対象でもありません、人格を持った人間なのです。これからは、攻撃的な言動に陥ることなく、体罰なしに、まずは親が模範を示す、褒める、寄り添うなど自律的な成長をサポートする時代が来ましたね。

子供を怒る

ああ、部活動

 昔は「たいしたことではなかった」ことが、時代が変わると、ちゃんとした法律違反となり、こんなはずではなかったと思わず後悔することになります。

 例えば、学校のクラブ活動での体罰。指導者はまずは勝つことを目標にしますから、選手や部員に対して、上手くなって欲しい、強くなって欲しいというあまり、その熱意が思わぬ事件となってしまいます。試合で勝つためには、技術をレベルアップし、精神的にも厳しい練習に耐えさせ、くりかえし、くりかえし練習して念願の勝利をつかむということになります。こうした部活動は、同じ行動や思考をくりかえしますから、やがて、自覚されなくなり当たり前に無意識に継続されます。それが伝統や慣習となって脈々と受け継がれます。時々、伝統校のパワハラや暴力事件などが取りざたされますが、それは、こうした土壌があるから生まれてくるのではないかと思います。時代に合わせ法律も変わっていきます「昔はよかった」ことが今はもう罪になるということですね。

 私が教員のころは、うさぎ跳びや校庭〇〇周など当たり前の感じでしたが、今では過酷なトレーニングとして体罰とみなされるようになりました。いずれにしても、他人に暴力を振るう権利は誰にもありません。たとえ、暑くてイライラし、かっとなっても身体的暴力は傷害罪(刑法204条)や暴行罪(同法208条)が成立し得ますから、古い認識を改め思わぬトラブルから身を守りましょう。

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