法務通信―新時代― Vol.22
人生は選択の連続-その重要性
みなさんこんにちは。行政書士の佐藤勝太郎です。やっと朝晩はしのぎやすくなってきましたが、日中はまだ25度以上の真夏日が続いています。ただ、朝晩は30度以上の猛暑から解放されてエアコンなしでも眠れるようになってきました。今週は朝急に気温が12度ぐらいに下がった日がありました。さすがに半袖では無理だなあと思いましたがまた元に戻っています。
最近の気象はいきなり大雨が降ったり、台風が急激に発達したりして想定外の災害が起こっています。かつての日本は、四季の移り変わりが穏やかであったが、今は極端な気温の変化が増え、猛暑にあえいでいたかと思うといつの間にか冬が訪れる。あるいは、地球温暖化が止まらない限り、冬から夏への移行も劇的になって、穏やかな春や情緒あふれる秋も薄らいでいくと思われます。ただ、日本の四季が今すぐなくなるというわけではないと思いますが、夏と冬が極端な形で現れると思うので、日本古来の四季折々の行事や風物詩が大きく影響を受けるかもしれませんね。
さて、最近マスコミで選ぶ・選ばれるという、いわゆる選挙報道が多くなっています。選ばれた人は、つまり当選や合格した人となりますが、選挙は何人の人たちがあなたを選んだかです。いわゆる頭数で、入学試験のように獲得した科目の点数とは全く違うものです。点数の高低は誰の目にも明確で公平であります。政治の選挙は候補者として他人との競争で選ばれる場合、特に、それぞれの候補者のイデオロギーや政策が選ぶ場合に大きな影響力を与えます。もちろん、候補者が大学の授業料を全額無償化にしたとか、物価高を抑え労働者の所得を倍増したなど実績の評価もあります。
しかし、有権者が選ぶ選挙はアナログで、単に主義主張や本人の実力以外の利害打算関係や人間性の好感度等が選ぶ判断材料となることは否定できません。一方学校の選抜試験や資格試験はデジタルの世界でデータ、つまり記録の世界です。いかにその世界が求めている記録の達成や得点を取得したかです。スポーツの世界もそうですね。選ばれるには努力に努力を重ね優勝、あるいは入賞へと漕ぎつけます。
「盗人にも3分の理あり」ということわざがあります。これはどんなことを行うにも、その本人にはそれ相当の理由があるということですが、我々は自分の立場における考え方、感じ方で常に自分は正しいと思い自己中心的に行動しています。
したがって、状況が変わったり、立場が変わったりすると見方、考え方も変わり手のひらを反すような言動も出てくるものです。考えてみるとみなさんの人生も選ぶこと、選択の連続だったのではないでしょうか。天災や親子は選べませんが、学校・仕事・結婚など、今ではほとんどが自由に選べる幸せな時代です。選ぶことは政治の選挙と学校の選択は本質的に違うものがありますが、どちらにも選ぶ本人の価値基準があるのです。直接の利害関係はないとしても興味・関心・えり好みなど主観による選考基準が介在するのは避けることはできません。将来不安の時代、真に国を思い、人に寄り添う候補者を有権者として正しい価値判断に基づき選びましょう。