「師が走る」12月

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法務通信―新時代― Vol.13

師が走る?

 12月に入り、今年も残り少なくなってきました。また、急に寒くなったかと思えばコートがいらなくなるなど寒暖差は極端な感じがします。さて12月は「師走」と言われますが、昔は僧侶が年末の懺悔法要で心身を清め、お正月に集中する先祖供養と祈願で、師(僧侶)が走り回るほど忙しかったということがその由来とされています。

 現代は、お坊さんより庶民の方が忙しくなりました。年末にはクリスマスや年越しのイベント、そして大掃除・年賀状の準備など手間暇がかかることが集中してしまうからです。今は師と付く人は数多く、師走といっても人それぞれで走らざるを得ない人、いつもの日常と変わらない人など多様化していますね。

 今年、岩手の盛岡が米紙ニューヨーク・タイムズの「2023年に行くべき52カ所」の2番目に選ばれました。1位がロンドンでその次だから、なぜ?と思わざるを得なかったが、選ばれた理由が分かるとなるほどと思うところもあります。住めば都と言いますが、地元に住んでいつも見慣れた風景を見ていると「灯台下暮らし」で、その風景や価値になかなか気づかないでいるということでしょうね。お隣青森県の奥入瀬渓流が素晴らしい景勝地であることを発見したのも東京から来た大町桂月でした。すなわち、人は近くにあるものはよく見えず、見えていてもその良さが分からない。それがよそからやってきた人にはいとも簡単に見えてしまうということでしょう。

 宮沢賢治も没後にその作品が草野新平らによって評価され国民的作家になったといえます。芸術文化的な価値は時間軸で生まれるのに対し、自然の営みや景観の価値は空間の軸でその距離が隔たるほどよく見えてくるということです。こうしてみると、歴史的・距離的に離れたものほど高く評価され、美化されるということですね。親がわが子を教育するのが難しいと言われますが、親は子にとって最も近い存在で子どものことなら何でも知っていると思い込みがちです。子どもが問題を起こしても「うちの子に限って」と子供を正しく見ることができません。要するに余りにも近すぎるからです。「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがありますが、わが子がかわいいなら親の元において甘やかしたりせず、世の中の艱難辛苦を経験させた方がよいということです。また、ライオンの親はわが子を谷底に落とすといいますが、それほどの強い意志や覚悟がないと子育ては成功しないということでしょう。

 私の教師時代を振り返っても、初めの20代の頃は生徒と年齢が近すぎて友達のような感覚になり、教師のオーラが出ていなかったと思います。しかし、子どもが学校に来ることを親元を離れ修行の旅に出ていると考えれば、親にはできないことを教師がするということと、子どもがその集団の中で切磋琢磨し失敗や挫折をしながら精神的ワクチンを獲得し成長していくその教育効果には大きなものがあります。その上で偉大な師(僧侶)に巡り合えば感化薫陶され、己が走らざるを得なくなるかもしれませんね。

 

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